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琉球は島国で、大国の中国に対しては属国になることを選びました

投稿日:2019-01-25

琉球は島国で中国に対しては属国になることを選びました。

属国だから貢物を献上します。それを運んだのが進貢船です。

進貢船からは面白いことが分かります。日章旗はもともと琉球の旗として中国への進貢船で使われていたということです。

琉球には「てぃだ(太陽)」の旗があった。

琉球王府が、中国に派遣していた進貢船の古い絵を見ると、三角に「日の丸」があしらわれている。 これは進貢船だけではない。沖縄の古くからの伝統ある祭りや踊りを見ていると、女性たちが白地に赤丸の扇子を持って登場する。

日本で「白地赤丸」が日章旗として用いるようになった経緯は諸説あり正確には不明である。

冊封使:中国皇帝の命をうけた冊封使が特定の国々へ派遣されました。

中国皇帝から国王として承認を受けることです。そして、新国王の即位式をとりおこなうために、中国皇帝の命をうけた冊封使が特定の国々へ派遣されました。

 冊封使(さっぷうし)が琉球にはじめて訪れたのは、1396年の北山王・攀安知(はんあんち)の時とも、1404年の武寧(ぶねい)王の時ともいわれています。しかし、それ以後、琉球王国最後の王・尚泰(しょうたい)まで、およそ500年ものあいだ冊封制度は継続しました。

冊封使の一行は総勢400人にもおよび、琉球に約半年間滞在しました。冊封使の任務は、先代王の葬儀である諭祭(ゆさい)と、新国王の即位式である冊封をおこなうことでした。これらの儀礼は首里城正殿前の御庭(ウナー)で盛大にとりおこなわれましたが、これには琉球王府の思惑がありました。つまり、冊封によって国王の権威を知らしめることと、進貢貿易を王府が独占することで経済力の拡大をはかるということです。事実、冊封使一行は多数の中国商品を持参しており、琉球王府はそれらを入手することで、東アジアにおける中継貿易国としての成功をおさめたのです。
 

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